Rethink 夫婦の時間 二人のこと、もう一度。

自分の内側にある小さいけれどたしかな何か。 国際結婚が私に気づかせてくれたこと

 夫は8歳年下で、ドイツ人で、私の苦手とする数学を専門としている。私は明らかな文系で年は40 間近で既に子どもが4人。一見共通点がまったくないような二人が結婚して海外に移住し、その後子どもが2人生まれた。東京、ブラジルを経て今はベルリン在住。そうこうしながら瞬く間に5年がたった。

 思えば結婚という縁は不思議だなぁとおもう。国籍も年齢も全く違う二人がある時にある場所に一緒にいたことで、言葉を交わした事でそこに縁が生まれ、何かが育ち、何かがつながり、その隔たりを越えていく。どんな人でも程度の差こそあれ、こんな風に二つの異質な物が一つになっていくのが夫婦で、それを繋げるのが縁。その異質とギャップを乗り越えていくことが、結婚が持つひとつの大きな意味かもしれない。

 私たち夫婦にも様々なギャップが沢山あるはずなのだけど、実はそれですごく困ったという印象は抱いていない。

日登美
赤ちゃんとおもちゃにまみれても研究ができる、しかも机でなく床に寝転んで勉強してるあたりギャップを感じる(笑)

 どうしてだろう? 夫の日本語が堪能だからだろうか。確かに国際結婚の一番のギャップはまず言葉だ。どちらの言葉で意思の疎通をはかるのか、は意外と難しい。例えば日本語にあってドイツ語に無い表現があったりもする。お互いの母国語のどちらかならまだいいのだけれど、フランス人やドイツ人、スペイン人と日本人のカップルの場合、互いの母国語ではない英語を使ってコミュニケーションを取っている夫婦もよく見かける。わが家もそうだ。

 けれどそれでもみんなうまくやっている。日本人同士にも関わらず全く理解しあえないこともあるのに、明らかに言葉が足りない異国人同士のほうが互いの言わんとする所を深く理解できたりすることがある。これは、異国人同士の場合は足りない言語を補うために、互いが一生懸命になるからかもしれないし、もしくは単に相性の問題かもしれない。

 ともあれ私たち夫婦も出会ったときは英会話だった。互いに真剣に慎重に理解しあおうと努力して、それゆえ、気持ちが通いあうのにたいして時間がかからなかったのを覚えている。そういう意味でも私達はギャップが障害になるよりも、ギャップがあるからこそ互いがより相手を尊重するし、それを糧にしてきた夫婦なのかもしれない。国際結婚において言語は確かに壁なのだけれど、夫婦間においては、言語の種類よりも互いを理解しようとする気持ちの方が大事なのかもしれないと、この結婚を通して思ったりもする。

国際結婚で感じるギャップのこと

 夫は当たり前ながら西洋人。私はまるっきり東洋人。育った国も言葉も文化も違うから日常生活の中でちらほらとギャップを感じる事がやはりある。例えば基本として食べてきた物が米なのか小麦なのか、という事ひとつとっても、日常生活にはギャップが生じる。その国の伝統や在り方が詰まっている食事は、日常の中で一番ギャップを感じやすいかもしれない。我が家の場合は夫の方が御飯党に寄り添ってきているので基本和食なのだけれど、やはり彼には時々パンがとても重要で、全く無しでは生きていけないというのをみると、食べ育ってきたものの変え難い宿命のようなものを感じる。

日登美
とある日の夫のご飯。夫が和食好きで助かる!ちなみに自家製沢庵と壺漬けです。

 そうやって些細な事ながら文化の違いをすりあわせる為にお互いが譲歩しあったり、それを尊重し思いやる事が日常当たり前になっているのは、国際結婚の特徴かもしれない。最初から言葉や文化の違い、価値観の違いがあることを当然として始まるので、互いのギャップや違いに対してかなり免疫が有る状態だと私は思っている。そのせいなのか、単に私が二度目の結婚でその要領をわきまえているからなのか、はたまた私たち夫婦がお互いのギャップを楽しんでしまう性格だからなのか、今のところギャップだらけの国際結婚は順調に進んでいる。

 また我が家のように年齢に差のある夫婦というのは、お互いの人生のステージが違う。植物の成長と同じく、いまは葉の時期、花の時期、果実が実る時というように、人間にも20代には20代にしかできないこと、30代に課せられたテーマ、40代で取り組むべき事、というのがあって、そのタイミングが夫婦の中で違うのだから、そこにもやはりギャップがある。私に見えている事が夫には見えていないとき、年齢の差を感じる事もある。経験という積み重ねの厚さの違いが視点の違いを生む事もある。

 国籍や性格や本人の成熟度などによっても変わってくるので、人生のステージを決めるのは一概に年齢だけとはいえないのだけれど、数えてみれば夫婦の間のギャップというのは国際結婚に限らず山ほどあるでは無いかと思う。そしてその事実と向き合うのが結婚なのかもしれないと最近は思っている。だから時には考えるよりも抵抗するよりも流れに任せていくうちに、物事は成るべき方向に流れていくという風に、夫婦の在り方についても感じる。そうするうちにギャップと呼ばれていた物が形を変えて私達らしい暮らしぶりへと変化しているのだ。

ドイツの夫婦は、女性が強い

 さてドイツでの夫婦の在り方をみていると、これまた全く日本と違う。まず女性がかなり強い。女性の方が物を言う、という雰囲気は日本より強いと思う。それは戦後のドイツを立て直したのが女性達だったという社会背景が要因としてあるようだけれど、なるほど、人間関係や立場や価値観や思想や食生活までも単にその時代や国のものだけでなく、歴史や社会や環境など様々な要因が相まって今にいたっているというのを実感したのはこの国際結婚を通して、また海外に住むチャンスを得たことが大きかったと思う。

 我が家も私が年上なので気がつけばややドイツ式の夫婦となっている気もするが、そこは微妙に日本妻の「夫を立てる」が相まって緩和されていると、思う(笑)。外国の男性にとって日本人妻の従順さは憧れの的だと国際結婚をして初めて聞いた。日本の女性は往々にして気が利くし、従順で優しい。確かにそうかもしれない。逆に言えば男の人が家事をする、赤ちゃんを抱いて散歩しているドイツ人お父さんの姿も日本人女性からすると憧れだと思う。こんな風に良い面での違いも取り入れながら夫婦の形を作っていくのもいいかもしれない。

 ベルリンでは日本で思っていた「妻として母としてやるべきこと」という概念があまり感じられない。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていい、という個人の自由が前提にあるせいなのか、夫婦の在り方についてはベルリンはとても先進的で多様性があるとおもう。そういう場所に住んでいるからこそギャップだらけの私達も楽しく暮らせている、というのもあるのかもしれない。

私たちは夫婦だと感じる瞬間

 思えば私達夫婦はあらゆる世間の一般的な状況からかけ離れた関係で夫婦となり家族となり、多様性をはらんだ暮らしを営んでいる。そんな毎日に時に疲れながらも、あらゆるギャップを乗りこえてこれたのはどうしてだろう?結婚は面倒臭いと思う人も多い中で、あえて結婚をする意味とはなんなのだろう。  
 
そう思った時に自分の内側にある小さく確かな何かに耳を澄ませる気持ちが思い出される。それは脈々と流れ、絶え間なく私達の行く先を導いているような何か。それを人は愛とか運命とか呼ぶのかもしれない。それこそが日常の中にある困難やギャップを感じる事以上に重要で、その奥底にあるものに耳を澄ます事がなければ、それを感じられる繊細さやそれを信じる勇気がなければおそらくは、夫婦というのは成立しないのではないかとおもう。あるいは結婚とはただの困難に過ぎない。けれどそういうささやかな物こそが全てのギャップを埋め、夫婦として一つになろうと歩み寄る原動力になっているのではないかと私は思うのだ。
 
 子ども6人とめまぐるしい日常を紡いできた日々でも、ふとした日常の隙間に私達が出会っていまここに一緒に人生を共に歩いている奇蹟と、自分の中に静かに流れている運命の水脈を感じるときがある。あるときは台所で夕飯を作りながら、あるときは寝る前のベッドのなかで私はそういう感覚に意識を集める。きっと彼もそういう時があるのだと話していなくても分かるような気がする。そう思える事が私たちが夫婦なのだと、そういう一対の生き物なのだと感じられる瞬間でもある。

日登美
意外と撮らない夫婦ツーショット

日登美
18歳よりファッションモデルとして雑誌、広告等で活躍。その後、シュタイナー教育、マクロビオティック、ヨガなど、自然な子育てと暮らしを提案する。2010年、オーガニックベース 奥津典子氏のもとで学び、「KII認定マクロビオティックインストラクター」の 資格を取得。同校の講師も務める。2012年、ドイツ人数学者と再婚、翌年、生活の拠点をブラジル・サンパウロに移す。2015年、ドイツへ引っ越し三女を出産、三男三女の母となる。現在ベルリンにて自宅および出張で日本人、外国人に向けてマクロビオティック料理教室や日本の伝統食を手作りするワークショップを開催している。